SSブログ

完成(夏季ver.) [鶴ヶ城 1/460]

鶴ヶ城(会津若松城)完成しました。
DSCN5045.JPG

鶴ヶ城のルーツは1384年に蘆名家7代当主・直盛が築いた東黒川館だといわれています。その後16代当主・盛氏の治世に蘆名家は大いに版図を広げ、黒川城と名付けられた本拠も拡張を続けました。
DSCN5048.JPG

盛氏の死後、蘆名家は後継者問題や伊達家との抗争で衰微し、代わって会津を治めたのが蒲生氏郷です。秀吉子飼いの武将だった氏郷は智勇の誉れ高く、現在の城郭の基礎を築きました。
DSCN5049.JPG
現在よりもさらに壮大な塔状の天守閣(現存の天守台をフルに使った規模)を造ったとされ、このとき城名も『若松城』と改めました。

蒲生家は家中騒動の咎で下野宇都宮へ移封。続いて、越後春日山から上杉景勝が会津に入ります。
DSCN5052.JPG
ところが景勝は関ヶ原合戦において西軍に加担し、米沢へ移封されます。次の城主となったのはこれまた秀吉子飼いの大名である加藤嘉明。子の明成は地震で損壊した天守閣を修復し、幕末まで残る姿へ改めました。

加藤家も家中騒動を起こして取り潰しとなり、代わって保科正之が入城します。
DSCN5054.JPG
保科正之は3代将軍家光の異母弟であり、将軍家への篤い忠誠は家中に永く受け継がれました。特別に松平姓を名乗ることと葵紋の使用を許され、会津松平家は幕末まで重要な親藩大名としての地位を保ったのです。

(続く)




ストレスフルモデリングの息抜きに、素組みベースで作る!という固い決意のもとで製作開始。しかし如何せん古いキットということもあり、粗を探せばキリがありません。そこそこの作業量になってしまいました。
DSCN5057.JPG

DSCN5055.JPG

しかしやはり手を入れれば入れただけの見返りはあるもので
DSCN5056.JPG
見上げたときにだけチラリと見える垂木が大好きです。

変なものが写り込まないよう、撮影の位置取りには気を遣います。
DSCN50582.jpg

『フォトラ』片側点灯で撮影
DSCN5062.JPG

DSCN5065.JPG

この後、雪を積もらせて冬景色にしたところで本当の完成とします。恒例の乾杯もそれまでおあずけ。
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

細部仕上げ自然光撮影 そして降雪 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。