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鶴ヶ城 1/460 ブログトップ
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動画 [鶴ヶ城 1/460]

鶴ヶ城でも動画を作ってみました。

やはり忙しい人向けの短編となっておりやす。

完成(冬季ver.) [鶴ヶ城 1/460]

重曹の雪を積もらせ、鶴ヶ城(会津若松城)無事に完成しました。
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鶴ヶ城を居城とした会津松平家が幕末の奔流に巻き込まれるのは1862年、藩主松平容保が京都守護職に任命されてからのことです。容保は藩兵を率いて上洛し、14代将軍家茂の警護や京都市中の治安維持といった任務にあたります。
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会津藩(および、配下の新撰組)が実施した苛烈な統制は尊王攘夷派の反発を招き、やがて彼らは倒幕派として一大勢力となってしまいます。

1867年の大政奉還に伴い京都守護職も消滅しました。鳥羽伏見での敗北を経て幕府軍は東へ。容保も最後の将軍慶喜に従い江戸へ向かいます。
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慶喜が江戸城を明け渡し、恭順の姿勢を貫いても会津藩の戦争は終わりませんでした。あくまで抵抗する佐幕派の中心とみなされ、薩摩・土佐の軍勢が会津領内へと押し寄せます。

会津藩は元服前の少年まで総動員して戦いましたが、西軍の揃えた新式火砲には歯が立ちませんでした。
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(写真はイメージです)

頼みとしていた厳冬期の到来を待ちながらも連日の猛烈な砲撃には耐えきれず、ついに降伏、開城しました。
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明治維新後は陸軍省の所管とされて練兵場などが設置され、1874年までに城郭の建屋は全て破却されてしまいました。その後、城地は一旦松平家へ払い下げられて最終的に若松市の保有となり、公園としての整備が進められます。
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天守をはじめとする建屋が鉄筋コンクリート造で再建されたのは1965年のこと。
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2011年には、明治時代に解体される前の赤瓦に葺き替える工事が完了して往年の姿へ戻りました。
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夏の新酒、その名も『清風一献』で乾杯。
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爽やかで飲みやすい…これは飲み過ぎて二日酔いまっしぐら

自然光撮影 そして降雪 [鶴ヶ城 1/460]

毎日狂ったように暑いですね。

鶴ヶ城は当初の予定通り、雪を積もらせた形での完成とします。
積雪前の最後の雄姿ということで、自然光でも写真を撮っておくことにしました。
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連日死ぬほど快晴なので、寮のベランダで撮影します。ベースにナットを取付け、大きめの板に固定して持ちやすくしています。落っことしたら大ごとですからね!

余分をWindowsのペイントでトリミングすればこの通り
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やっぱり自然光は最高ですね…。


「もうこれでいいじゃないかよ!」という心の中の声に反抗して、雪を降らします。
クリスマスの悪戯で経験済の重曹作戦!
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定着にはヘビーゲルメディウムを水で薄めて使います。

シャブシャブに薄めたゲルメディウムを筆で塗り、上空から茶こしで重曹を降らします。
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しばらくして乾燥したら、余分な重曹をエアブラシの空吹きで吹き飛ばします。
さらに足りないところがあれば、接着剤を塗り、重曹を振る。この繰り返しです。

部屋中粉だらけになりましたが、はたして降雪の結果は!?
次回いよいよ完成です!

完成(夏季ver.) [鶴ヶ城 1/460]

鶴ヶ城(会津若松城)完成しました。
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鶴ヶ城のルーツは1384年に蘆名家7代当主・直盛が築いた東黒川館だといわれています。その後16代当主・盛氏の治世に蘆名家は大いに版図を広げ、黒川城と名付けられた本拠も拡張を続けました。
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盛氏の死後、蘆名家は後継者問題や伊達家との抗争で衰微し、代わって会津を治めたのが蒲生氏郷です。秀吉子飼いの武将だった氏郷は智勇の誉れ高く、現在の城郭の基礎を築きました。
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現在よりもさらに壮大な塔状の天守閣(現存の天守台をフルに使った規模)を造ったとされ、このとき城名も『若松城』と改めました。

蒲生家は家中騒動の咎で下野宇都宮へ移封。続いて、越後春日山から上杉景勝が会津に入ります。
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ところが景勝は関ヶ原合戦において西軍に加担し、米沢へ移封されます。次の城主となったのはこれまた秀吉子飼いの大名である加藤嘉明。子の明成は地震で損壊した天守閣を修復し、幕末まで残る姿へ改めました。

加藤家も家中騒動を起こして取り潰しとなり、代わって保科正之が入城します。
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保科正之は3代将軍家光の異母弟であり、将軍家への篤い忠誠は家中に永く受け継がれました。特別に松平姓を名乗ることと葵紋の使用を許され、会津松平家は幕末まで重要な親藩大名としての地位を保ったのです。

(続く)




ストレスフルモデリングの息抜きに、素組みベースで作る!という固い決意のもとで製作開始。しかし如何せん古いキットということもあり、粗を探せばキリがありません。そこそこの作業量になってしまいました。
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しかしやはり手を入れれば入れただけの見返りはあるもので
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見上げたときにだけチラリと見える垂木が大好きです。

変なものが写り込まないよう、撮影の位置取りには気を遣います。
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『フォトラ』片側点灯で撮影
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この後、雪を積もらせて冬景色にしたところで本当の完成とします。恒例の乾杯もそれまでおあずけ。

細部仕上げ [鶴ヶ城 1/460]

最上階の板張りはブラックで下塗り&ダークイエローを吹いた後、ダークブラウンでスミ入れ
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回廊の欄干はセミグロスブラックを筆塗りで仕上げました。

各層調整済の天守閣。接着剤のはみ出しに注意しながら慎重に組上げます。
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てっぺんを飾るシャチホコ
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「これはシャチホコですか」「いいえタイヤキです」的なあまりにも酷い造形。こりゃまずい!

というわけで頼もしい新兵器を制式採用
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WAVE社のハンディルーターでございます。
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8種のビットが付属し、さらに回転数の(無段)調整が可能なため、パワフルな切削から繊細な仕上げまで対応。さっそく一番細い針ヤスリ(右端)でシルエットを整え、球状のヤスリ(2番目)で全体を薄くします。
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まあまあの形になりました。おいしそうなエビ天に見えますね。切削で荒れた表面は流込み接着剤を表面に塗布して溶かし、平滑に均します。
グロスブラック⇒メッキシルバーでこの輝きに
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さあ完成間近!

屋根の塗装 その2 [鶴ヶ城 1/460]

屋根の下側、せっせと伸ばしランナーを貼り付けた垂木を塗装します。ざっくりマスキングして、外壁を塗ったのと同じ「つや消しホワイト+極微量ミッドナイトブルー」を吹きます。
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赤丸の部分が特に塗りづらい。漏れのないようみっちりマスキングして、低めのエア圧で吹き入れます。

貼っては塗り、塗っては剥がし
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ウマークイッタ
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最後にジャーマングレイでスミ入れ
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これで大物の塗装はすべて完了。細部を仕上げて完成です!


ところで。
海上自衛隊の『いずも』が今日進水しました。全長250m、全幅38m、排水量19,500tと大戦中の空母『飛龍』型に匹敵する規模で、史上最大の護衛艦です。
護衛艦の艦名は進水&命名の前には秘匿されるのが通例ですが、『いずも』は7月16日の時点でバレてしまいました。海自の発信したPDF文書の取扱ミスが原因です。大きな害のない情報だったから良かったものの、国防情報の管理についてちょっと心配になる事件でございました。
超国粋主義模型メーカー・アオシマがVTOL機を満載した状態でキット化するんじゃないでしょうか。楽しみ!

外壁の塗装 [鶴ヶ城 1/460]

漆喰壁の塗装です
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つや消しホワイトに、極微量のミッドナイトブルーを加えて寒色系に振ってみました。最後に積もらせる雪の純白を際立たせるとともに、初冬の張りつめた空気感を演出するのが狙いです。果たしてこの作戦が実るのか、徒労に終わるのか!? 自分にとって、完成の瞬間まで結果が分からないドキドキが模型の醍醐味の一つです。

タミヤエナメルのジャーマングレイでウォッシング
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溶剤をつけた綿棒でぼかします
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綿棒を垂直方向に動かすことで、雨だれを再現。ただしスケールが1/460ということでくれぐれも大げさにならないよう慎重に作業します。壁面はちょっと物足りないくらいがちょうどいいようですが、窓枠や破風には積極的に陰影を残すようにします。

鉄門の下部は板張りですので、ほぼブラックの焦げ茶で塗装
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ブラックでスミ入れし、やや明るくしたブラウンでドライブラシして、ディティールの立体感を強調しておきます。

屋根の塗装 その1 [鶴ヶ城 1/460]

屋根瓦の塗装を一気に仕上げます。
漆喰の外壁も併せて、一度真っ黒に塗装します。
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目的は透け防止と色調の彩度を抑えること。

屋根瓦は、釉薬を塗った赤瓦です。会津の冬の厳しい寒さと凍結に耐えるために、藩祖保科正之の治世1648年頃に葺き替えられたそうです。
現在の天守閣は第二次大戦後(1965年)に再建されたもので長らく黒瓦が葺かれていましたが、2011年になって幕末当時の赤瓦に葺き替えられました。大河ドラマ効果かな?
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艦底色をベースに、ダークイエローやブラックを極微量混ぜた基本色を吹きます。
ちなみに赤瓦は現在も『石州瓦』として島根県(石見国)が名産地。粘土に鉄分が多いため赤褐色になるんですね。中国地方の山間部などでは集落まるごと屋根が真っ赤っか、という景色も見られます。

タミヤエナメルの艦底色にブラックを混ぜて、スミ入れを施します。
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ハイライトに、今度は艦底色+ホワイトでドライブラシ
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瓦はモールドがはっきりしてるのでやりがいがありますね。

最後に、釉薬の質感を表現するためにクリアー系でコートしましょう
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クリアオレンジ&クリアレッド&クリアブルーを混ぜて作った『クリアレッドブラウン』的な色を全体に軽く吹きます
。写真では色調の変化が極めて伝わりづらいですね。実物はもっと赤い感じです。

建屋の工作 [鶴ヶ城 1/460]

天守閣以外にも、気になる箇所に追加工作を施しました。

天守台を囲む漆喰塀
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キットパーツ(白色)の押ピン跡やヒケを処理しているうちに、のしイカのようなデロリンとしたフォルムがどうにも気に入らず。1.0mm厚のプラ板から切出して(灰色)置換えることにしました。平面と直角がしっかりしてると模型が映える!はず。

セミスクラッチになった鉄門(くろがねもん)
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キットパーツは4本の柱が申し訳なさそうに突っ立っているだけでしたが、堅牢な城を守る最後の門なのでプラ角棒でディティール追加。水平垂直が狂うと逆効果なので慎重に位置決めします。
ネット上の写真をたくさん見て参考にしましたが、そもそも門周辺は石畳なんですね…何も考えず砂利を敷いてしまった。まあいいか。
門の2階には太めのプラ棒をつっかい棒にして形状を整えます。
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もろもろの工作も一段落して、次回からは建屋の塗装に入ります。




最近テレビCMで『ライスフォース』という、(たぶん)お米を原材料にした化粧品を売り出しています。
見るたび反射的に「米軍!」と直訳してしまうアホな自分がいます…。

天守閣 その5 [鶴ヶ城 1/460]

天守閣周りの小工作を紹介します。
最初にぶち抜いた回廊を復活させましょう。

回廊は(たぶん)木の板敷きになっているので、EVER GREEN社製のスジ彫りプラ板を現物合わせで四角く組みます。欄干はもちろん伸ばしランナー!
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しっかり立ちそうな太めのランナーを縦に、ちょい細目を横に接着していきます。
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ちょっとたわんだけど気にしない。
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なおカッティングマットのマス目はそれぞれ2mm間隔。これを真鍮線とかでやってたら一日かかってしまいそうだな…。


最上階は内部が丸見えなので、床板くらいは付けてやりましょう。
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同じくスジ彫りプラ板を現物合わせで。穴を開けたのは階段(もしくは梯子)の通り道。先に作った回廊と干渉するため、赤丸で囲った部分は瓦のモールドを平らに切り取ります。
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仮ハメしてみるといい感じ。キットの再現(もうあんまり記憶にないけど)とは見違えたぞ!


天守台の出入口は盛大に隙間が発生します。
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とりあえずプラ板で肉増しすることに。
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当然だがきつすぎて入らない。
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ちょっとずつ削ります。直線やエッジを極力失わないよう、サンドペーパーをステンレス定規に両面テープで貼付けて慎重に形を整えていきます。
しまった、ちょっと削りすぎ…?
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この後ラッカーパテを盛っては削り、盛っては削りで気がすむまで。
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