岡本たろウィーゴ その3 [メカトロウィーゴ 1/35]
岡本たろウィーゴ その2 [メカトロウィーゴ 1/35]
岡本たろウィーゴ その1 [メカトロウィーゴ 1/35]
今回はパイロットから先に作ります。
このマジメそうな小学生を…
バクハツおじさんに改造します!
まずは坊ちゃんヘアーを一旦スキンヘッドに剃り上げます。
アタマの形は幼少時に寝た姿勢で変わるという話を最近聞きました。固い枕でずっと仰向けに寝ていると、後頭部が真っ平な『ぜっぺき』になるんだとか。ホントかなぁ。私は何度か坊主刈りにしたことがありますが、そのたびに良い形の頭骨だと好評です。どうやらコロコロ転がりながら幼少期を過ごしたようです。人生の終わりに自分のシャレコウベを眺めてみたいですが叶わぬ夢ですね。
寒そうなので、ポリパテで早速発毛させます。
爪楊枝を削ったヘラで髪スジを付けながら造形します。過剰な凹凸は乾いてからデザインナイフとスポンジヤスリでマイルドに整えてやります。
造形の最終段階でサーフェイサーを吹いて確認。けっこうオデコ広め。
せっかくのモールドを埋めないようにごく薄く吹きます。
次回はポージングの大改造です。
このマジメそうな小学生を…
バクハツおじさんに改造します!
まずは坊ちゃんヘアーを一旦スキンヘッドに剃り上げます。
アタマの形は幼少時に寝た姿勢で変わるという話を最近聞きました。固い枕でずっと仰向けに寝ていると、後頭部が真っ平な『ぜっぺき』になるんだとか。ホントかなぁ。私は何度か坊主刈りにしたことがありますが、そのたびに良い形の頭骨だと好評です。どうやらコロコロ転がりながら幼少期を過ごしたようです。人生の終わりに自分のシャレコウベを眺めてみたいですが叶わぬ夢ですね。
寒そうなので、ポリパテで早速発毛させます。
爪楊枝を削ったヘラで髪スジを付けながら造形します。過剰な凹凸は乾いてからデザインナイフとスポンジヤスリでマイルドに整えてやります。
造形の最終段階でサーフェイサーを吹いて確認。けっこうオデコ広め。
せっかくのモールドを埋めないようにごく薄く吹きます。
次回はポージングの大改造です。
『ドットの誘惑』完成 [メカトロウィーゴ 1/35]
草間やよウィーゴ その4 [メカトロウィーゴ 1/35]
草間やよウィーゴ その3 [メカトロウィーゴ 1/35]
草間やよウィーゴ その2 [メカトロウィーゴ 1/35]
草間やよウィーゴ その1 [メカトロウィーゴ 1/35]
久しぶりにちゃんとしたスケールモデルを作ったら思いのほか時間もかかり、少しくたびれちゃいましたので、模型疲れは模型で癒したいと思います。
さて今年2016年は瀬戸内国際芸術祭開催の年です。
3年に一度の開催ですが今年も見に行かないまま、気が付いたら閉幕してました。ひとり芸術祭ということで私も何かゲージツ的なものをこしらえてみようと考えた次第。
っていうかタイトルですでに何がしたいかはバレてるわけですが。
いつものようにインナーフレームにウイノーブラックを吹くところからスタート。
これもいつもの通り。スーパーシルバーで本塗装です。
ここからが今回独特の作業になります。
発色の都合上、環状のマスキングを大量生産する必要が生じました。使ったのは革細工用の円形ポンチ。(だいたい)真円の穴を手軽に開けることができます。
さて今年2016年は瀬戸内国際芸術祭開催の年です。
3年に一度の開催ですが今年も見に行かないまま、気が付いたら閉幕してました。ひとり芸術祭ということで私も何かゲージツ的なものをこしらえてみようと考えた次第。
っていうかタイトルですでに何がしたいかはバレてるわけですが。
いつものようにインナーフレームにウイノーブラックを吹くところからスタート。
これもいつもの通り。スーパーシルバーで本塗装です。
ここからが今回独特の作業になります。
発色の都合上、環状のマスキングを大量生産する必要が生じました。使ったのは革細工用の円形ポンチ。(だいたい)真円の穴を手軽に開けることができます。
完成 [カティサーク 1/350]
1/350 MINICRAFT カティサーク 完成しました。
1834年に東インド会社のアジア貿易独占が終わると、多くの船主がアジアとヨーロッパの貿易に参入しました。中でも中国産の茶葉をいかに早くイギリスへ届けるかを競う『ティーレース』は世間の注目を集め、勝者は莫大な利益と名誉を手にしました。紅茶専用の高速輸送船、ティークリッパーとして建造されたのがカティサークです。
カティサークは1869年11月22日に進水。細長い船体は外洋での高速発揮に役立ち、中国の紅茶を最短107日でロンドンまで届けることができました。ティークリッパーとして極めて優秀な成績をおさめましたが、ティーレースの勝者となることも、輸送日数の新記録を更新することもありませんでした。
折しもカティサーク就役の1869年にスエズ運河が開通。スエズ地域はほぼ無風のため、アジアーヨーロッパ間輸送の主役は帆船から蒸気船へと急速に移行していきました。カティサークは1878年に紅茶輸送から引退し、以降はアメリカや英国植民地とロンドンを結ぶ航路で輸送業務に従事しました。
1936年以降テムズ大学の航海学校で練習船となり、さらに1957年からはテムズ河畔にて保存されることとなりました。現在も一般公開され市民に親しまれています。
初めての帆船プラモでしたが、メタルリギングによる張り線、帆布の再現、海面の表現など色々と技法を試すことができました。
乾杯用のスコッチウィスキー
ちょっといいやつを奮発しました。
こちらはいつもの安いやつ。
紅茶運搬船ということで、お茶を一服。
数千年続いた帆走技術の粋を集めた船が、戦争でもスポーツでもなくお茶の輸送に使われたというのは大英帝国の余裕を感じるようでいいですね。いつかは木製の帆船模型にも手を出してみたいなぁ。
1834年に東インド会社のアジア貿易独占が終わると、多くの船主がアジアとヨーロッパの貿易に参入しました。中でも中国産の茶葉をいかに早くイギリスへ届けるかを競う『ティーレース』は世間の注目を集め、勝者は莫大な利益と名誉を手にしました。紅茶専用の高速輸送船、ティークリッパーとして建造されたのがカティサークです。
カティサークは1869年11月22日に進水。細長い船体は外洋での高速発揮に役立ち、中国の紅茶を最短107日でロンドンまで届けることができました。ティークリッパーとして極めて優秀な成績をおさめましたが、ティーレースの勝者となることも、輸送日数の新記録を更新することもありませんでした。
折しもカティサーク就役の1869年にスエズ運河が開通。スエズ地域はほぼ無風のため、アジアーヨーロッパ間輸送の主役は帆船から蒸気船へと急速に移行していきました。カティサークは1878年に紅茶輸送から引退し、以降はアメリカや英国植民地とロンドンを結ぶ航路で輸送業務に従事しました。
1936年以降テムズ大学の航海学校で練習船となり、さらに1957年からはテムズ河畔にて保存されることとなりました。現在も一般公開され市民に親しまれています。
初めての帆船プラモでしたが、メタルリギングによる張り線、帆布の再現、海面の表現など色々と技法を試すことができました。
乾杯用のスコッチウィスキー
ちょっといいやつを奮発しました。
こちらはいつもの安いやつ。
紅茶運搬船ということで、お茶を一服。
数千年続いた帆走技術の粋を集めた船が、戦争でもスポーツでもなくお茶の輸送に使われたというのは大英帝国の余裕を感じるようでいいですね。いつかは木製の帆船模型にも手を出してみたいなぁ。